ここ連日、新聞の紙面には、新型コロナウイルス感染者数という数字が並んでいる。
まず、都道府県別の感染者の数が書かれていて、次に死者数が書いてある。この死者数に目が留まる。印刷された数字に違和感を覚える。当たり前だが、数字は数しか語らない。一つの数字には、一つの長い人生があるのに、と思う。
私が持つ違和感は感覚的、直感的なもので、科学的な数字とは反対側にある。新聞紙上での数字は、科学であり、統計である。
科学と技術が社会を動かす、という(科学技術社会論)。それは理解できる。私達は、科学技術の発展の歴史に大いに助けられた。さまざまな統計の数字、その分析によって、社会が明晰に現され、自分の位置がよくわかり、考える指針にもなった。実学だ。
それでも新型コロナウイルスによる日々更新される死者を表す数字は気になる。昨日の死亡者数+1、や2という数字。私のこの違和感は何か? そうだ、数字の後に人という字がない。人間は、人で、1は一人。人として存在する。かけがえのない一つの命として尊重される。
爽やかな初夏が迎えられるために、努力をしよう。人と寄り添い笑い会える日のために。