2002(平成14)年3月20日、山口情報芸術センター(YCAM)の定礎式が実施された。本紙では同15日付で「同センターの建設工事の進ちょく度は約40%で、基礎工事がほぼ完了している。また、センターのシンボルマークも同時に発表された」と伝えた。設計は、このほど「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞の受賞が決まった建築家の磯崎新氏が担当したが、同センターの建設については反対意見も多く、意見広告(1月3日付、4月12日付)の掲載や、読者からの賛否両論の投書が紙面をにぎわせた。
そのような中、4月21日に山口市長選が実施。候補それぞれが「中園問題」への対応を公約に掲げた中、「計画見直し」を訴えた合志栄一氏が当選した。選挙後、合志市長は、公約どおり工事を3カ月間の期限付きで中断し、見直し委員会を設置。本紙ではその後の動きを「見直し市民委員会委員を公募」(5月17日付)「見直し市民委員会が初会議 『市役所』『巨大植物園』など代替案も」(6月13日付)などと報じた。また、4442通を送付し、1642通の回答があった市民アンケートの「『見直すべき』が過半数超える」(7月4日付)という結果も紹介した。
一方では、岸派の議員が出入りし、歴史ある建物や庭園が文化人に愛された米山荘の「今月末で閉店」(3月20日付)、佐藤栄作が好んで使っていた部屋もあった料亭・菜香亭の「移築始まる」(11月16日付)といった出来事も伝えた。政治家ゆかりの二つの建物の消失・再生の動きがあった年だった。