朝夕涼しい風が吹き始めると例年寂しい気持ちになる。薄暮、明かりもつけずにぼんやりと空を見ていると、唐突に、アフリカも知らずに死ぬのだなあ、と思う。アフリカ大陸に行ったことはない。なんにも知らない。アフリカ象のことも知らないのに中学校の卒業記念に貰った象牙の印鑑を持っている。象の牙の破片だけ持っている。アフリカ象は絶滅に近いというのに。
アフリカのどこかの国の私と同じ七十二歳の女性が空を見上げて「日本っていう国はどっち方向かしら? 一度も訪ねることもなく私は死ぬのだなあ」なんて思っているかもしれない。日本に旅行した友達から貰った日本産の珊瑚の根付を財布につけて、ぶらぶらさせているかもしれない。
歴史も知らない。 数学も英語もなんにも知らない。中学生程度のこともみんな忘れてしまった。いや、最初から理解していたのかも怪しい。
ああ、なんにも知らないで死んじゃうんだ。知らなくってもなんの不自由もないけれど、ちょっと寂しい。こんな時には、反対の情緒の人と会うといい。秋が大好き、というMさんに電話した。明日、お汁粉を作って会いにきてくれるという。
見上げていた空がもう真っ暗になっている。その中をチカチカとオレンジ色の翼燈と尾燈を光らせて旅客機が飛んで行く。