明木は明木川沿いに開けた萩往還最初の宿駅である。江戸期の地理歴史書「防長風土注進案」には、総戸数73軒で、人夫19人、馬30匹を常設していたと記録されている。駅には目代役が定められ、駕籠や馬の手配と賃銭の徴収役を務めていた。
イラストは現在の明木である。ここは明治24年にほぼ全焼したが、たまたま直前に自宅を瓦屋根の土蔵造に改修した藤井家のみが焼け残ったことから、江戸期には3軒しかなかったという瓦屋根が広く普及し、瓦には石州瓦が多く使用された。因みに藤井家出身で二代目村長となった藤井清は、井上馨に見出され、福沢諭吉門下生となって西洋式簿記の導入に貢献のあった人物である。
文・イラスト=古谷 眞之助