緑の季節ですね。枯れてしまったのかと思っていた枝々から柔らかい新芽が吹き出てくる。あっちからこっちから元気にツンツンと。
六十代頃までは、花にはさして興味を持たなかった。桜見物した記憶もない。それが近頃、花に目が行くようになったんです。特に六月になると、植物の生命の力に圧倒され、畏敬の念を抱くのです。朝の光に敬礼し、木々の新芽に見惚れ、夕日に頭を垂れる。地球の偉大さを知る。これって、確実に大人への階段を上って、豊かな老境への道を進んでいることですよね。
このような詩に目が留まります。
良心の呵責の一例 まるらおこ
すっかり枯れてしまったベランダの鉢植えのアジサイが/ある日突然、茶色の枝を真っ白に変えた。/早春の冷気と陽光からおそろしいスピードで/エナジーを吸い取っていることに気がつかなかった。//「わたしきょうから春なんで」/アジサイが言い放つ ベランダで平然と//白杖のような枝から茶褐色の新芽があらわれ/割れて、ぞくぞくと柔らかな緑色が生まれる。/日に日に葉や茎に育っていく。//このなまめかしい生気は/いったいどこに隠れていたのだろうか。(略)
花の終わった水仙、紅梅、鈴蘭等は今は土中で鼻歌まじりで、もう来年の準備をしている。凄い生命力!