(5月22日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
上野の山
東京都台東区にある「上野恩賜公園」。緑豊かなその公園は、春は桜、夏は蓮、秋は紅葉と、四季折々の姿を見せる。
園内には博物館、美術館、動物園などの文化施設もあり、多くの人々の憩いの場となっている。
ここは、1873(明治6)年、太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山とともに国内で初めて公園に指定された。1924(大正13)年、官有地であった公園は、宮内省を経て東京市に下賜される。
かつては36坊の堂塔伽藍が建ち並んでいた東叡山寛永寺の境内地であったが、多くの建物は1868(慶応4)年5月15日に始まった東征軍と彰義隊の戦いの際に焼失した。
彰義隊が陣を置いた寛永寺は江戸城から見て丑寅(北東)の方位にあり鬼門に当たる。その広大な台地は、ひとつの城郭ともいえる地形を成している。周囲は、新門、屏風坂門、車坂門、黒門などの門が固く守る。
上野を押さえることは、日光街道の口を閉ざすことにもなる。
5月13日、東征軍の参謀は、諸藩の隊長に対し、彰義隊討伐を布告した。討伐戦の準備が進められていく。
(続く。次回は6月5日付に掲載します)