(3月13日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
無政府状態
その頃、関東地方では、情勢を一変させる事態が起こっていた。
土地を農民に解放することを告げながら進軍する東征軍に対し、地元の旗本や代官は、知行地を放棄し逃亡。無政府状態となり人民による一揆が広がっていった。
こうした状況の中、東征軍は、年貢半減の約束を捨て、一揆を起こした者たちに対し厳しい弾圧を加えた。
この東征軍の動きに対し、英国公使パークスは、旧幕府側をフランスが援助しているため、新政府側を英国が援助しようと提案。しかし、親征大総督府・西郷隆盛は、国内の戦いに外国の兵力は無用であると答えた。
動揺
一揆の広がりに、旧幕府側の間でも動揺が起こり、脱走する者が増えていった。
こうした状況の中、旧幕府軍の陸軍奉行であった勝海舟も庶民の動きを警戒していた。
今、東征軍と戦い、双方が傷つけば、やがて庶民の力が増大し、権力は庶民の手に移るかもしれないと考えたのである。
また、この戦いで旧幕府軍がフランスの援助に頼るならば、中国の太平天国の乱の二の舞になるかもしれないと恐れた。
(続く。次回は27日付に掲載します)