並んで歩いていたAさんが私の耳元でこう言った。「言おうかな、どうしょうかな。言うと幸運が逃げてしまうかしら」。横顔がニタニタしている。「もしかして、賞を貰ったの?」。Aさんは破顔して「R文学賞の最終選考に残ったのよ」と言った。声がうわずっている。「やったね。きっと大賞取れるって」「賞金は50万よ。もし賞が取れたら補聴器を買うわ」「補聴器!」「今頃耳が遠くなってね」「もし私がその賞金を手にできたら鬘を買う」。Aさんが「髪あるじゃないの」と私の頭に手を置いた。「今は白髪を染めているけれど止めたいのよ。止めて髪が全部きれいな白髪になるまで鬘が欲しい」
二人の七十二歳の女性の今欲しい物は、補聴器に鬘。テレビ等で子供達が、お正月にお年玉はどうしますか、と問われると「貯金する」と答えるが、私達は貯金などしない。今が大切なんだもの。若者の欲しいものは、雑誌の統計によると「愛」。私達は「愛」は持っている。多分。 Aさんは、鶏を書けば天下一品。
“雄鶏は雌鶏を保護するように守り、美味しいものは自分では食べず、銜えてはポトリ、銜えてはポトリと落とし雌鶏に食べさせる。安全な寝床に誘導し自分のDNAを残さんと朝も昼も情熱の赴くまま”。Aさん、大賞間違いない。補聴器買おうね。