S文学賞のA作家の選評の文章に目が止まった。
“作品をどう描くかの技術研究はよくなされているが、一方で何を描くか、何を主題にするかはあまり探求されていない”。
良くわかる。拙い文章ばかり皆さんにお目にかける私でも、何をどう書く
かは考える。どう書くかは、ある程度習うことができる。ある程度ね。
「ここをこう書けばわかり易くなるわよ」。先生に批評されれば、それを踏まえて、何度も同じ失敗はするけれど、十年くらい経てば上手くなる。才能なんてなくても続けていれば、なんとか人に伝えることができるようになる。ある程度はね。
何を主題にするかは難しい。これは書く価値があるのか? もうすでに書き尽くされている題材ではないのか。考え方が偏っていないか。個性ではなく偏見ではないか? この題材に対して、新しい発見があるのか。私の知識のなさのために私だけの新しい発見ではないのか? 広がりがあるか?
“日常の中では新しい主題は日々生まれているのである。誰かに発見されることをその主題は待ち望まれている”。
さあ、発見するぞ。加齢していく私の体は発見の宝庫。浮き沈みする心も開陳…何かがあるはずだ。ある程度はね。