康子さんからこんな相談を受けた。「母が亡くなって実家の整理に行ったら、一杯物を溜めているのよ。綺麗な紙袋、それに紐。荷造り用から菓子箱にかけてある紐など一杯。空箱や布切れ。ポンと捨てられなくってね。どうにか利用できないかしら」
「凧はどう?」「えっ!」。電話の向こうで康子さんが息を呑む。
私はその時、ジャストタイミングで『三日月をけずる』(服部誕)を読んでいた。それも“大空高く凧揚げて”。嘘みたいだけれど、作者の亡き母君も紙袋や紐を集めていらしたのだ(年寄りは捨てない)。作者に、母君の「またなんぞの折に使えるさかい」という声が聞こえてくる。
いっそ/紙袋の丈夫な紙地を台紙に使い/あるだけの包装紙を張り重ね/色目をうまく貼り交ぜていって/母の似顔の描かれた巨大な凧を作ろうか/紐は全部 どんどんどんどんつなげていって/長い長い揚げ糸にする
私は、この詩にいたく共感した。残された物に亡き人の気持ちが残っている。だからといって何でもかんでも持ち続けることはできない。それを活かせば良い。凧っていうのは妙案だ。死者は空に昇る、夜になると星になる。凧を揚げよう。
康子さんは、凧を作ると言う。できたら一緒に川原で揚げよう。