海辺の食堂に行った。壁にメニューを書いた短冊が貼ってある。Aさんは鯛の刺身定食。私は鯛のアラ炊き定食。Aさんが身を、私が骨を食べる。私には見事な煮汁が染みた鯛の頭。Aさんの皿には、桜色の身が並んでいる。彼女が刺身を一切れ食べる。笑顔。私は鯛の頭部を食う。両手を使い鰓をつかみ解体する。煮汁が手の甲に付く。頬肉をほおばる。ああ、美味しい。
目玉を食べようかしら? 思案しながらAさんをちらりと見ると、彼女がこう言った。「あんたね、目玉を食べると、この鯛が海の中で見たものを見るわよ。怖いよ。いいの」
ここは、都会のレストランではない。開け放った窓から潮の香が押し寄せる大衆食堂。隣のテーブルのおじさんが骨をしゃぶっている。軟骨を砕くコリコリという音もする。白髪のおじさん、歯が丈夫なのね。
鯛の唇にちょっと吸い付いてみた。何か言ったようだが、耳の悪い私には聞こえない。骨の間の肉をせせる。コラーゲンもつるりと食う。
若布の吸い物を一口飲む。ほら、そこの磯の若布だよ、とおじさん。私の皿には、煮汁色した骨が小山を成す。おじさんの皿の骨は私の半分。ああ、私はまだ修行が足りん。残した目玉ににらまれた。Aさんは、もう全部食べてすましている。もちろん骨などひとかけらもない。