明木の街に入る手前に吉田松陰短古(唐時代以前の漢詩の形式)碑がある。下田で密航に失敗した松陰は安政元年(1854)に萩に護送される際、明木橋でこの詩を詠った。「少年志す所有り/柱に題して馬卿に学ぶ/今日檻輿にて返る/是れ吾が晝錦の行」。詩意はなかなか難しいが、「志を立てたものの罪を得て帰郷する身となった。しかし私としては故郷に錦を飾って帰る思いである」というほどの意味である。罪人となったが、恥じることなど一切ないと実に彼らしく意気軒高である。護送責任者・武弘太兵衛の日記に、10月23日三田尻を朝6時出発、雨の中を夕刻8時に明木に着いたとあるので、かなりの強行軍だった。
文・イラスト=古谷 眞之助