(7月31日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
黒煙
山内に着弾したアームストロング砲によって、寛永寺山門の吉祥閣は炎に包まれた。
彰義隊は、中堂になだれ込んだ東征軍に対し、防戦一方となった。そこに、東照宮の神旗を持った旗本・大久保紀伊守が駆けつけた。最後の決戦を挑んだのである。
だが、紀伊守が額に砲弾を浴びて倒れると、彰義隊の隊士たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。
この時、天野八郎は隊士を率いて反撃に向かったが、彼のそばにいたのは、頭取並の新井鐐太郎ともうひとりだけになっていたという。
「ここに徳川氏たるものにまた愕然たり―」 彰義隊の戦意はすっかり失われていたのである。
一方、東征軍は、寛永寺の堂塔伽藍に次々と火を放った。徳川家の菩提寺として栄華繁栄を極めたその建物は、虚しく焼け落ちていった。
その頃、谷中口で奮戦していた長州軍も、谷中門を突破。天王寺まで侵入した。黒門が破られたという報に、彰義隊に動揺が走ったのである。
こうして、他の口でも状況は同様であった。
上野の山に、真っ黒な煙が巻き上がった。
(続く。次回は8月14日付に掲載します)