(8月7日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
退却
この日、益次郎は、三条実美らとともに、江戸城西の丸において戦況をうかがっていた。
だが、夕方近くになると城内には不穏な空気が漂いはじめた。大総督府の参謀たちが益次郎に詰め寄った。
「先生は、夜襲はいかぬ、昼間のうちに片を付けると言われたが、今の様子では急には片付かぬ。この様子では、日が暮れても容易に破れぬ。そうすると我々が前に主張した夜襲になる。昼間からの続きの戦いであるから、むしろ予想外に険悪の結果を見るわけになる。困ったものである」
この時、益次郎は、柱に寄りかかって何か考え事をしていたが、ふと懐中時計を取り出すと、それを一同に示し、このように答えたという。
「別にそれ程心配するにも及びますまい。この具合なら夕方には必ず戦の始末も着きましょう。もう少しお待ちなさい」
そうするうちに上野の山から黒煙が上がり始めた。彼は言葉を続けた。
「皆さん、これで始末がつきました。猛火が炎々と立ったのは、賊兵が上野の山に火をかけて退却したのに違いありません」
するとそこへ、東征軍の勝利を報せる早馬がやって来た。
(続く。次回は8月21日付に掲載します)