(12月5日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
旧幕府軍の敗走
天王山山腹の高台に座る四条隆謌の監視の下、藤堂家の兵士たちは、山崎台場より、対岸にある旧幕府軍の橋本本陣に向け砲撃を開始した。
この時、会津軍、桑名軍、遊撃隊、見廻組は、この地を死所と覚悟を決め奮戦したが、今まで味方であった藤堂家の寝返りによって苦戦した。
この攻撃によって、橋本関門付近で警衛をしていた旧幕府軍の小浜軍、宮津軍の士気は一挙に低下し総崩れとなった。
こうして、この日、薩長連合軍を中心とする新政府軍の勝利は、決定的となったのである。
分捕り
薩長連合軍によって制圧された橋本本陣には、旧幕府軍の大砲や小銃、弾薬、兵糧等が残されていた。
そこでは、長州軍、薩摩軍によって、分捕り合戦が行われた。彼らは、先を争って、武器や兵糧に封印を付けると、藩名が書かれた制札を立ててまわった。これは、彼らにとって戦利品である。
また、ここでは、個人による略奪行為もあったようだ。薩長連合軍の兵士たちは、小銃や弾薬、陣羽織、刀、脇差、槍など、先を競って分捕ったという。
(続く。次回は12月19日付に掲載します)