(10月10日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
トコトンヤレ節
「宮さん宮さん お馬の前の(に) ひらひらするのは何じゃいな トコトンヤレ トンヤレナあれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ 知らないか トコトンヤレ トンヤレナ」
これは、明治初年の頃の瓦版に印刷された「都風流トコトンヤレぶし」である。新政府軍が錦旗を押し立てて進む様子を歌ったもので、我が国最初の軍歌といわれている。作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎といわれるが確証はない。
風になびく錦旗
旧幕府軍の兵数は1万5千人、薩長連合軍の兵数は5千人。戦闘に対して士気が高い薩長連合軍であるが、多勢に無勢の感は否定できなかった。
だが、鳥羽・伏見の戦いが始まった翌日、1月4日、仁和寺宮嘉彰親王が征討大将軍に任じられると、薩摩軍が陣を置いていた東寺に、二旒の錦旗がひるがえった。ここに、薩長連合軍は「官軍」となったのである。
錦旗の効果は絶大であった。それまで、立場を決めかねていた土佐軍は、藩命を待つことなく薩長連合軍に合流。その他の西国諸藩についても、次々と呼応し始めたのである。
(続く。次回は10月24日付に掲載します)