(10月23日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
大蔵省へ
旧幕臣・中野梧一は、戊辰戦争後は新政府によって捕虜として抑留されていたが、1870(明治3)年1月3日、赦免されると、翌年の9月3日、大蔵省へ出仕することとなった。
同じ頃、大蔵省には、彰義隊初代頭取を務めていた渋沢成一郎が、従兄弟である渋沢栄一のすすめにより入省していた。
栄一は、上野戦争の頃にはフランスへ留学していたが、新政府の命により急きょ帰国したのである。
その後、彼は静岡藩士となるが、経綸の才能を認められると大蔵省へ入り、大蔵大輔であった大隈重信のもとで、井上馨や伊藤博文とともに近代化政策を推進。そこで優秀な静岡藩士を引き抜くと、大蔵省の仕事に当たらせた。日本における近代郵便制度の創設者、前島密もその一人である。
だが栄一は、1873(明治6)年に新政府内で予算をめぐる紛議が起きると、馨とともに大蔵省を去った。
この時、成一郎は、実業界へと進み、そこで生糸問屋などを営むと、次第に頭角を現し、東京商品取引所の理事長となり、栄一とともに日本の近代化をリードしていくこととなる。
(続く。次回は11月6日付に掲載します)