(5月8日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
軍議
5月初旬、大総督府において、彰義隊討伐のための会議が開かれた。その席で益次郎は、「上野攻撃については、全責任を自分に負わしてもらいたい」と申し出た。
この時、薩摩藩側からは、様々な意見が出たが、西郷隆盛は、「大村先生が身を以て当たるといわるる以上、よろしく先生に一任すべきである」といい、反対意見を押さえ、益次郎の主張を快く受け入れたという。
だが、その作戦については、大総督府の参謀や、益次郎の部下の中にも、白昼堂々の戦いには自信が持てず、夜襲を主張する者が多かった。こうした意見に益次郎は反発した。
「官軍は王師である。勅命によって賊徒を討つのであるから、白昼公然と、正々堂々戦うべきであり、夜襲のごときはとるべきでない。もし夜襲を行えば、敵は夜陰に乗じて四散し、市中に放火して、江戸を灰燼に帰せしむる危険がある-」
益次郎は、江戸の市民にはなるべく迷惑をかけないようにせよといった朝廷の趣旨を主張。むやみに人民を殺傷したり、家屋を焼き払い、財産を奪うことを禁じ、戦禍を最小限に食い止めることを考えたのである。
(続く。次回は5月22日付に掲載します)