(3月20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
交渉
3月9日、幕臣・山岡鉄舟が、勝海舟の書を携え、薩摩藩邸焼討ちの際に捕虜となっていた益満休之助を伴い、駿府の西郷隆盛のもとを訪れた。
この時、鉄舟は、徳川慶喜が恭順の姿勢であることを伝えたが、これに対し隆盛は、徳川家の存続を認める代わりに、「慶喜の身柄を岡山藩に預ける。江戸城を明け渡す。軍艦を引き渡す。武器も全て引き渡す。慶喜を幇助した者を糾弾し謝罪させる。玉石ともに砕くつもりはないので治安維持を図らせる」といった条件を挙げた。
会談
「あの時の談判は、実に骨だったよ。官軍に西郷がいなければ、談はとても、まとまらなかっただろうよ。(中略)いよいよ談判になると、西郷は、俺のいうことを一々信用してくれ、その間、一点の疑念も挟まなかった。『色々難しい議論もありましょうが、私が一身にかけて御引受けします。』西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生命と財産を保つことができ、また、徳川氏もその滅亡を逃れたのだ」
13日、江戸高輪の薩摩屋敷で、海舟と隆盛の会談が開かれた。翌日には、田町の薩摩屋敷で2回目の会見が行われた。
(続く。次回は4月3日付に掲載します)