(2月13日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
300藩の行方
東征軍出兵にあたり、次に挙げる約50藩が、長州藩、薩摩藩を中心とする新政府軍へと加わった。黒羽藩、高徳藩、伊勢崎藩、高田藩、金沢藩、岩村田藩、田野口藩、高島藩、飯田藩、沼津藩、掛川藩、浜松藩、横須賀藩、田原藩、挙母藩、郡上藩、加納藩、大垣藩、名古屋藩、長島藩、津藩、久居藩、和歌山藩、彦根藩、大溝藩、山上藩、西大路藩、水口藩、三田藩、山家藩、亀山藩、鳥取藩、岡山藩、生坂藩、鴨方藩、広島藩、徳島藩、宇和島藩、土佐藩、小倉藩、福岡藩、久留米藩、岡藩、佐賀藩、大村藩、熊本藩、佐土原藩などである。この他、多くの藩が新政府軍へと加盟していった。
一方、仙台藩、会津藩、秋田藩、盛岡藩、米沢藩、庄内藩、二本松藩、弘前藩、棚倉藩、新庄藩、中村藩、三春藩、山形藩、上山藩、平藩、福島藩、松前福山藩、一関藩、出羽松山藩、本庄藩、守山藩、八戸藩、亀田藩、泉藩、天童藩、秋田新田藩、湯長谷藩、七戸藩、長瀞藩、下手渡藩、米沢新田藩、黒石藩、矢島藩、新発田藩、長岡藩、村上藩、村松藩、三根山藩、黒川藩、三日市藩は、奥羽越列藩同盟を結成。会津藩救済を図った。
(続く。次回は2月27日付に掲載します)