(3月28日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
協約の内容
「一、国元より今般繰出候軍兵一応三田尻へ、碇泊御引合可申上候事。但為差引大山格之助、来二十五六日頃より罷出三田尻へ滞在可申候事。一、於尊藩国元より之軍兵三田尻へ着船迄は、御待請相成、同時御出張之運に致し、弊藩軍艦二艘之内、一艘一日先に摂海へ着船注進の事」
これは、大久保利通の執筆による、薩長連合軍出兵協約の一部である。
国元(薩摩)よりこの度出張する兵士は、三田尻へ碇泊し、その指揮は大山格之助(綱良)が執り、25、26日頃より三田尻に滞在すること。長州兵は、薩摩兵が三田尻に着船するまでは待機し、同時に出張すること。薩摩船は2艘来るので、1艘は摂津湾へ先発することなどが記されている。
また、この他にも3条の協約が決められており、そこには、総軍は薩摩船が着いた翌日には摂津湾まで進むこと。当月中の実行を約束し、日時については時期を見て定めること。薩摩侯出兵の際、上方の形勢次第では、長州藩領のどこかに滞在してもらうことなどが取り決められていた。
こうして、協議の後、利通は京都へ、綱良は薩摩へと向かい、山口を後にした。
(続く。次回は4月11日付に掲載します)