(4月18日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
薩摩船
その日の夕方、望東尼は二十数キロの街道を歩き、宮市(防府市)の松崎天満宮に到着した。
そして彼女は、この日から7日間、薩長連合軍の戦勝を祈願するため、天満宮に参詣した。
「ただ七日わが日まうでもはてなくにかみな月ともなりにけるかな」
7日間の戦勝祈願もまだ終わらない中、すでに時は過ぎ、神無月(10月)になってしまった。しかし、薩摩船は一向に姿を見せる様子はなかった。
これには、長州藩の諸隊の連中も不満を抱いていた。だが、こうした状況の中、木戸孝允は、薩摩船は必ずやって来ると信じて疑わなかった。
望東尼は、周囲の人たちに誘われて桑山に登り、そこから海を眺めた。
そして、10月6日、中関に一隻の薩摩船がようやく姿を現した。
「まちまちしかひもありそにいざ行きてまづあふがばや薩摩おほふね」
待ちに待った薩摩船を見て周囲の人々は声を上げて騒いだ。この時、望東尼は、その気持ちを歌に詠んだ。
「さだめなき世の人心うたがひもわが胸こがすあだとこそ知れ」
薩長連合軍出航の日が近づいてきた。
(続く。次回は5月2日付に掲載します)