(5月2日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
待機
10月6日に三田尻に入港した薩摩船・豊瑞丸に乗り込んでいた大山綱良は、長州藩の柏村数馬と協議し、まずは豊瑞丸を東上させることとし、自らは三田尻へ残ることとなった。
また、9日に小田浦に投錨した翔鳳丸には400人の兵士が、平運丸には459人の兵士が乗り込んでいたが、彼らは東上の機が熟すまで一時留まることになった。
そこで、中関の善正寺では翔鳳丸の兵士を、光永寺では平運丸の兵士を、一定人数に分けて上陸させ、慰労のための入浴や食事支援が行われた。
親睦
11日、藩主より命を受けた木戸孝允と柏村数馬は岩国へ出張し、近況を報じた。
また、14日には毛利内匠が諸隊の参謀と薩摩船を訪れた。その後、翔鳳丸艦長・白石弥左衛門、平運丸艦長・得能佐平次をはじめ、隊長、軍監らより答礼があり、彼らは中関に上陸すると、そこで宴が催された。
16日には、島津主殿、軍監、参謀らが上陸し毛利内匠に面会。荒瀬邸にて宴が催され、互いに親睦を深めた。
一方、その頃、将軍・徳川慶喜は大政奉還を朝廷に申し出た。
(続く。次回は5月16日付に掲載します)