(5月9日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
桜島と向島
朝から降り続く雨にツワブキの葉が濡れている。
石段を上がり山門の下で傘をたたむ。振り返ると眼前には向島、その東には江泊山の尖峰と大平山の山容が美しい。
ここは防府市田島、至宝山善正寺である。
1867(慶応3)年10月9日、小田浦へ投錨した薩摩船・翔鳳丸に乗りこんでいた兵士400人は、一定の人数ごとに上陸し、この寺で入浴し食事の支援を受けたことは先にも述べたが、この時彼らも、この場所からこの風景を眺めたことだろう。
現在、沿岸部は埋め立てられ工場が建ち並び、ここから海岸線は見えない。だが、当時は、この辺りには塩田が広がり、海に浮かぶ向島の姿もはっきりと目にすることができたであろう。
今から150年ほど前、鹿児島を後にし、風待ち潮待ちをしながら瀬戸内海へとやって来た薩摩藩の大軍。この時、彼らは、青い空を背にする向島や江泊山の姿に、故郷のシンボルである桜島を重ね、郷愁を感じたのではないだろうか。
もう二度と目にすることができないかもしれない、火口から白煙を噴き出すあの雄大な姿を思いながら。
(続く。次回は5月23日付に掲載します)