(6月27日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
暗殺
薩長連合軍の東上の機も熟した頃、京都では悲愴なる事件が起こった。11月15日夜、土佐藩の中岡慎太郎は、河原町の近江屋に身を寄せていた坂本龍馬のもとを訪れ会談をしていた。そこに突然刺客が乱入。慎太郎、龍馬、山田藤吉の3人を襲撃したのである。
この時、龍馬は頭部に傷を負って絶命。藤吉は背後から斬られ翌日絶息。慎太郎は全身に10カ所余りの傷を受け、11月17日、帰らぬ人となった。享年30であった。
益次郎は慎太郎を「純情潔白の士」と評価していたといわれている。彼は藩内において慎太郎と会談して以来、その見識の高さと誠実な人柄に深く敬服していたようだ。またひとり益次郎の同志が去っていった。
島津雨
島津家では初代当主・忠久が、雨の日に誕生したということから、雨を縁起の良いものと考え「島津雨」と呼び、吉兆の証としたという。その故事をもとに、15代当主・貴久は、戦国時代に「時雨軍旗」を作成している。
1867(慶応3)年11月18日、薩摩軍が出港を控えた三田尻に島津雨は降ったのだろうか。
(続く。次回は7月11日付に掲載します)