(7月4日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
長州軍第一陣
11月18日深夜、三邦丸、翔鳳丸、平運丸、これら3隻の薩摩船は、薩摩藩主・島津忠義、西郷隆盛、長州藩の品川弥二郎、世良修蔵らを乗せ三田尻を出港。21日、大坂に到着した。
19日、長州藩では鞠生松原(防府市)において世子・毛利元徳が諸隊の銃陣式を検閲。25日午前4時には同所に長州軍が集結。総督・毛利内匠が軍令を申し伝え、小烏神社に参詣、武運長久を祈った。
こうして、内匠をはじめ諸隊駈引・山田顕義、諸隊参謀・片野十郎、参謀・楫取素彦、国貞直人らは、第一陣として奇兵隊一中隊110人、遊撃隊一中隊97人、膺懲隊一小隊40人、整武隊一中隊97人、鋭武隊一中隊97人、振武隊一中隊98人、第二奇兵隊一中隊125人、右田毛利家兵一中隊93人の合計757人を率いて問屋口へ移動、そこからは艀に乗り小田浦港沖に待機していた鞠生丸、癸亥丸、丙辰丸、満珠丸、丙寅丸、乙丑丸、庚申丸の7隻に分乗。各艦は祝砲7発を放ち一斉に出港した。
この時、内匠や参謀らを乗せた鞠生丸は、伊藤博文がイギリス商人グラバーを通じて借り入れた369㌧の蒸気船であった。
(続く。次回は7月18日付に掲載します)