(7月18日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
長州軍第三陣
徳山藩世子・毛利平六郎、岩国領主名代・宮庄主水ら率いる第三陣が富海沖から出航したのは、12月8日のことであった。
鞠生丸、乙丑丸、薩摩船の豊瑞丸、和船の4隻に分乗した553人は、10日、尾道に到着。先に着いていた堅田大和率いる兵と合流した。
その頃、西宮に進軍していた長州の前軍は、「この度、長州人が上って来たのは、決して西宮を侵すためではないので安堵して職に励むように」といった内容の高札を諸方に立てた。
ええじゃないか
「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」
当時、民衆は「ええじゃないか、ええじゃないか」と繰り返し歌をうたい乱舞していたといわれている。
「西宮に到れば、市中乱舞舞踊に狂呼して、人足のひとりも得ること能ず―」
11月27日、幕臣の福地源一郎は、外国奉行に従い軍艦で兵庫に到着。それより京都へ向かったが、途中、西宮でこの騒ぎに遮られ動けなくなったという。
(続く。次回は8月1日付に掲載します)