(7月25日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
戊辰戦争
「幕末の戦闘ほど世に悲しい出来事はない。それが日本人同族の争でもあり、いづれもが正しいと信じたるままに、それぞれの道へと己等の誠を尽くした。然るに流れ行く一瞬の時差により、或る者は官軍となり、或るは幕軍となって士道に殉じたのであります。百年の歳月を閲し、其の縁り有る人々に対し、慰霊碑の建つるを見る。在天の魂以て冥すべし。昭和四十五年春 中村勝五郎撰」
京都市伏見区納所下野。かつては宇治川が流れていたといわれるこの辺りは、京都と大坂を結ぶ街道が通う交通の要衝であった。現在は京阪鉄道、京都競馬場、高架、住宅が建ち並ぶ。道路脇にひっそりとたたずむ石碑のそばには、「戊辰役東軍戦死者埋没地」と刻まれた慰霊碑が建てられている。
明治へと改元された1868(慶応4)年1月4日頃、奇兵隊の三浦五郎は、この地で一隊を率いて旧幕府軍と戦った。
1月2日、旧幕府軍は「討薩表」を掲げ京都に向け進軍を開始していた。こうして、3日から長州・薩摩を中心とする新政府軍との間で戦闘が始まった。戊辰戦争の発端となった「鳥羽・伏見の戦い」である。
(続く。次回は8月8日付に掲載します)