(8月8日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
五卿の帰洛
多くの参拝者で賑わう太宰府天満宮。表参道を進むと、かつて天満宮を守る寺院であった延寿王院につきあたる。ここには、1865(元治2)年1月から、1867(慶応3)年12月までの間、京都を追われ、一時は長州藩に身を投じていた三条実美ら五卿が滞在していた。
1867(慶応3)年12月14日、薩摩藩の大山巌は、官位復旧と入京の許可が下されたことを知らせに五卿のもとを訪れた。19日、太宰府を出発した実美らは、21日、薩摩藩の蒸気船・春日丸へ乗り込み箱崎を出港。22日、下関へ到着すると、そこで、長府藩主・毛利元敏、木戸孝允、伊藤博文らと会談した。
その頃、益次郎は、毛利敬親父子、毛利筑前、柏村数馬、広沢真臣、御堀耕助らと会議を行うため、三田尻へ召喚されていた。
23日、五卿が三田尻へとやって来た。彼らは、貞永邸において、毛利敬親父子と会見。午後10時頃帰船した。
こうして、実美ら一行は、瀬戸内海を進み、25日には大坂に着船し、土佐堀の薩摩藩邸に滞在。26日には川舟で伏見へと向かい、27日、入京。御所へ向かったのである。
(続く。次回は8月22日付に掲載します)