(8月29日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
城南宮と鳥羽離宮跡
上鳥羽における薩摩軍の陣営は、城南宮であった。この神社は、かつて四神相応の地とされる平安京に都が移った際、国の安泰と都の守護を願って建てられたという。境内にある手水鉢には、伏見八名水のひとつである菊水若水というやわらかい口当たりの水がこんこんと湧き出ており、古くから、あらゆる病気が治ると伝えられ、今もそのご利益に授かろうという人たちが後を絶たない。
また、方除けの大社としても広く知られ、平安時代後期には、ここを中心として離宮が築かれ、方位の災いが無いように願って行う方違えの宿所に離宮御殿が選ばれることが多かったそうだ。
熊野詣に出かける人たちも、離宮に7日ほど滞在し、身を清めた後、旅の安全を祈り、ここを後にしたという。
現在、離宮遺構の一部とされる秋ノ山周辺は、鳥羽離宮公園として整備され、スポーツを楽しむ人たちで賑わう。そして、樹木に覆われた築山には鳥羽伏見戦跡碑がひっそりとたたずんでいる。
鳥羽・伏見の戦いが勃発したあの日、ここに並べられた薩摩軍の大砲が、旧幕府軍をめがけ、いっせいに火を吹いたのである。
(続く。次回は9月12日付に掲載します)