(9月5日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
伏見での開戦
伏見は、水と酒の町である。町を流れる宇治川派流には十石船がゆったりと進み、桃山丘陵でこされた水は、地下の水脈を通りやがて湧水となる。そのまろやかな中硬水が酒造りに適しているという。
この町で戦闘が始まったのは、鳥羽方面から砲声が聞こえて間もなくのことであった。旧幕府軍が伏見奉行所より軍を進め発砲したのである。
この時、御香宮神社前からは、薩摩軍と第二中隊(旧遊撃隊)が進み、第六中隊(旧第二奇兵隊)は毛利橋より京橋の旧幕府軍を攻撃。その後、市街戦となった。
この戦いで両軍は激戦となり、天地を動かすほどの砲声が町中に響きわたった。燃え盛る炎はまるで空を焼き尽くすかのようであった。
その混乱に乗じて、長州、薩摩両軍は敵兵を狙撃するが、旧幕府軍は奉行所を固く守り、退却しなかった。
そこで、第二中隊の後藤深蔵、宮田半四郎は、兵を率いて奉行所の裏手にある竹林に回り、そこから突撃するが、深蔵は砲弾にあたり戦死した。半四郎は、薩摩軍の援助を受け、兵を率いて決死の覚悟で奉行所に火を放つも、その後負傷し絶命した。
(続く。次回は9月19日付に掲載します)