(9月26日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
旧幕府軍の戦況
伏見の戦いで旧幕府軍は、薩長連合軍の手厳しい攻撃に悪戦苦闘していた。
「過刻申し上げ候通り、今夕手配り図面取調べ中、先方より打ちかかり、俄かに戦争相始まり、只今最中。所々に放火。何分手配り中、始めより意外の手間取れ困り申し候。さりながら勝利は疑いなきあいだ、ご案(安)心下さるべく候。さて大砲心棒折れ候あいだ、何とぞ大砲繰り出し御さし向け下さるべく候」
これは、旧幕府軍の指揮官であった竹中丹後守が、陣を置いていた伏見奉行所から淀の本営に、支援を求めるために送った手紙である。
この戦いが始まってから間もなくのこと、旧幕府軍は、奉行所に砲弾を撃ち込まれ、予想外の攻撃に対し混乱していた。死傷者は続出し、市街は薩摩軍の放火によって燃え上がった。こうした中、奉行所の北門に、薩長連合軍が乱入。この混乱に乗じて丹後守は、慌ただしく脱出したという。
また、薩摩軍が、残党を追い出すために奉行所や市街に放った火は、旧幕府軍を苦しめた。燃え盛る炎を背にする状態となった彼らは、その姿が照らし出され、薩長連合軍の格好の的になってしまったのである。
(続く。次回は10月10日付に掲載します)