(10月17日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
炎の中での激戦
錦旗がひるがえったこの日、相国寺に陣を置いていた長州軍の第三中隊(旧整武隊)は、薩摩軍の応援のため鳥羽口へと向かった。また、東福寺に陣を置く第一中隊(旧奇兵隊)半小隊などもそこに赴いたが、現地では、薩摩軍が苦戦し、大いに疲労していた。そこで、既に到着していた第三中隊(旧振武隊)が、夜の闇に乗じて旧幕府軍を撃破した。
一方、伏見方面では、旧幕府軍が中書島に陣を構え応戦していた。ここで第二中隊(旧遊撃隊)を主とする長州軍がこれを破り、第六中隊(旧第二奇兵隊)は、鳥羽方面に赴くため、高瀬川の土手にて旧幕府軍と激しい戦闘を繰り広げ勝利した。この時、旧幕府軍は、進路を開くため付近の民家に火を放ったが、強風にあおられたため、火が激しく燃え広がり、かえってこれが自らを苦しめてしまった。
そこで薩長連合軍は、機に乗じてこれを撃ち、鳥羽・伏見両路の旧幕府軍は大敗したのであった。
その後、長州軍は、第二中隊、第六中隊を休息させることとし、第五中隊(旧振武隊)、第一中隊、第八小隊(旧膺懲隊)が、戦地へ向かうこととなった。
(続く。次回は10月31日付に掲載します)