(10月31日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
征討将軍の巡業
そんな激戦の中、薩摩軍が陣を置いていた東寺から、赤地錦に金の日輪と銀の月輪の図柄を配した錦旗を掲げ、征討大将軍・仁和寺宮嘉彰親王一行が戦地へと視察に向かった。
この時、先陣は薩摩軍の一小隊、錦旗奉行の四条隆謌、五条為栄らであった。
この巡業は、1月3日から始まった昼夜の交戦で疲労した、薩長連合軍の士気を大いに高める効果があった。
風にひるがえる錦旗を見た兵士たちの中には、拝伏する者、あるいは涙を流す者、手をたたいて踊躍する者など様々で、勝鬨を揚げる薩長連合軍の声は、山々へと響き渡ったという。
また、市中では、錦旗を見て、「ああ、有難や有難や」と感激する者もいたそうだ。
一方、敗走する旧幕府軍の一部は、淀城に大手門を破って乱入した。
その頃、大坂城にいた徳川慶喜は、錦旗の存在を知り驚いた。そして、賊軍となったことを嘆いた。
「あわれ朝廷に対して刃向かうべき意思は露ばかりも持たざりしに、誤りて賊名を負うに至りしこそ悲しけれ―」
慶喜は狼狽した。
(続く。次回は11月14日付に掲載します)