(11月7日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
淀城開城
京都市伏見区納所町にある淀小橋旧趾にたたずむ。紀伊郡納所村と淀の城下町を結ぶこの橋は、かつては京都と大坂とを結ぶ街道に架けられていた重要な橋である。
だがその橋も、1月5日、千両松の戦いで敗れた旧幕府軍によって焼き落とされた。
態勢を立て直そうとする旧幕府軍は、幕府方の重要拠点であった淀城へと乱入するが、当時、幕府老中を務めていた藩主・稲葉正邦は江戸に滞在中で、城を守っていたのは家老・田辺権太夫であった。この時、権太夫は、薩長連合軍を中心とする新政府軍側の働きかけを受け旧幕府軍の入城を拒んだ。
そこで旧幕府軍は、新政府軍の進路を絶つため、淀大橋も焼き落とし、城下に火を放った。その日は西風が非常に強く、炎は天にみなぎり、城下の家々はことごとく焼け灰燼に帰したという。
こうして旧幕府軍はこれより南の橋本(八幡市)まで退却。その後、淀城は新政府軍に対し開城された。旧幕府軍にとって淀城を失った打撃は大きかった。
この開城に対し薩摩軍は、「淀藩は我々を城内に引き入れて皆殺しにする計画ではないか」と疑ったという。
(続く。次回は11月21日付に掲載します)