(12月18日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
無言の帰郷
小鳥の鳴き声が響き渡り、朝から降り続く雨は落ち葉を叩く。ただひとり、墓所に佇む。風は無い。
背後に建つ神道碑の裏には多くの名が刻まれ、遥か遠くには、陶ヶ岳、火の山の連山が霞む。
立ち去りがたくなる。
1869(明治2)年11月5日、益次郎は帰らぬ人となった。享年45。
この時、妻の琴は、夫の危篤の知らせを聞き、急きょ大阪へ向かった。だが、臨終に立ち会うことは叶わなかった。
益次郎の遺骸は、郷里である鋳銭司村へ葬られることとなり、大阪から瀬戸内海を経て三田尻へ上陸。そこから陸路を進んだ。
神式をもって葬られたのは11月20日のことであった。
命の限り
ひたすら学問に身を捧げた10代、20代。生涯の師と出会うこととなったあの青春時代。
教育者としての第一歩を踏み出し、多くの門人たちを指導。優秀な人材を送り出し、広く世間にその名を知られるようになった30代。
そして40代。国のため、道のために、蓄えたその知識を、惜しむことなく使い果たした。
命の限り咲き盛る、あの花のように。
(完)