雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに ――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。
その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾の頃にも降つた……
幾多々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。
ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方に見る雪は、
うんざりする程永遠で、
雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……
雪が降るとこのわたくしには、
人生が かなしくもうつくしいものに ――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。
【ひとことコラム】大高源吾は赤穂浪士の一人。討ち入りの場面につきもののよく知られた雪を含みながら、この詩に降る雪は、時代を超え国境を超えて広がって行きます。そうした果てしない時空の中に置いてみることで、一度限りの人生のかけがえのなさも、身にしみて感じられるのでしょう。
中原中也記念館館長 中原 豊