かつては修行僧が多く「西の高野」と称されていた禅昌寺。現代も地元中学生が立志式の一環として座禅を組み、精神を鍛錬する。
法幢山禅昌寺(町田大智住職)は、1396年、慶屋定紹禅師の開山、大内義弘の開基によって創建された。
「西の本山」「西の高野」と称されるほど高名な修行道場で、開創当時は1000人を超える修行僧が学び、約80もの末寺小庵が本堂をとり巻いていた。義弘がさらに多くの寺領を寄進しようとしたが慶屋は断り、防長2州の托鉢の許しを得て、明治の廃仏毀釈まで民衆に支えられてきたという。
毎年3月、大内中2年生の生徒たちも学校行事「立志式」の一環として往復10キロを徒歩参詣し、座禅を組んでいる。