明治元年(1868年)9月8日、明治改元の詔が新時代の到来を告げる中、近代国家の仕組み作りが急がれました。同年10月15日、木戸孝允は、山口藩(長州藩)の野村素介に宛てた長文の書簡の中で、自分の国家構想を図示しています。
図1は、当時の日本の形勢で、各々が自身の山を高くしようと考えて、国全体の一致などもとより覚束ないと記しています。図2では、国全体を一つの山にとらえ、朝廷を頂点として、薩州・長州・其外諸藩府県が順に肩を並べて列強に対峙する構図を描き、一体一力を以て日本を維持することの重要性を強調したのです。これはもちろん、当時の社会のあり方や思想によるものですが、国家がいわゆるワンチームとして内外の諸課題に立ち向かおうとしていたことがわかります。
山口県立山口博物館 学芸専門監 山田 稔