吉敷上東と下東、一部赤田地域の氏神様「土師八幡宮」。この地を治めた領主によって広島県の内部八幡宮と合祀した歴史を持つ。
古くは「土師宮」といい、天穂日命、野見宿祢、菅原道真の三神が祀られていた。
慶長年間に安芸毛利家家臣・福原広俊がこの地の領主になり、1621(元和7)年(一説に元和2年ともいう)、安芸高田郡福原村にあった内部八幡宮を合祀して社号が「土師八幡宮」と改められた。祭神は、前述の三神に応神天皇、息長帯姫命、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命を加えた八神が祀られ、秋季例大祭には巫女舞が奉納される。
この付近は山麓に陶土があり、陶業が行われていたことなどから、土師部(土器を作る職人)が氏神として祀ったことが始まりと考えられている。