萩を出発して二番目の宿駅であるとともに藩主の宿泊施設「御茶屋」が設けられていたのが佐々並である。明木同様に目代所があって、人夫17人、馬30匹が常に用意されていた。この目代所跡は今では「おもてなし茶屋」と名を変え、旅人たちの格好の休憩場所となっている。
関ヶ原の戦いの後、毛利輝元が萩城に移る際に佐々並で休憩したことから、ここに御茶屋が設けられた。慶応元年(1865)11月12日、松陰の妹・文も毛利元徳の妻・銀姫のお供として小雨降る中を山口に赴く際、ここで一泊している。彼女たちが山口大神宮の近くにあった「五十鈴御殿」に到着したのは、翌日の午後4時過ぎのことだった。
文・イラスト=古谷眞之助