1866(慶応2)年9月16日、女流歌人・野村望東尼は、高杉晋作によって手配された6人の志士たちにより、玄界灘に浮かぶ姫島の獄舎から救出された。その後、彼女は、下関において病気療養中であった晋作の世話などをしていたが、翌年、彼が病没。心の支えを失った彼女は、藩主・毛利敬親より山口へと招かれることとなった。
「うかりにしこぞの姫島思ひでてむかふひら井のもとのひめ山」
望東尼は姫山を眺め、姫島での出来事を思い出した。この時、彼女の脳裏には、獄中での辛い生活の中、親切にしてくれた島の人たち、晋作や志士たちの姿が浮かんだことだろう。
防長史談会山口支部長 松前 了嗣