古本屋の店内でなにか面白い本がないか、と探していたら、黄緑色の背表紙に『白神山地マタギ伝・鈴木忠勝の生涯』とある本をみつけた。白神山地とマタギという言葉に惹かれた。目の前に深い森と鳥獣、ただ寡黙に歩くマタギの姿が目に浮かぶ。きれいな空気を肺いっぱいに吸った気分になった。
表紙の鈴木忠勝氏の写真に目を奪われた。ああ、なんといい顔だ。慈愛に満ちた目、そして厳しく凛々しい。ほんの四十年前頃には農村で、町場の工場でよく見かけた顔に近い。身体を動かし労働している顔だ。思慮深く知恵のある顔だ。彼の顔に魅了されてすぐに買った、毎日、鈴木氏の顔を見たい。大人の顔に会いたい。
“人間は肉体であると同時に精神です。肉体は必ず年をとるものですが、精神は、物理的時間とは違う時間を生きているので、ある意味で年をとるとも言えるし、全く年などとらないとも言える。精神がうまく年齢を重ねてゆくことができた場合、「成熟する」というふさわしい言い方があります。「死とは何か」 池田晶子著より”。鈴木氏の顔に私は「成熟」を見る。私に「成熟」は遠い。顔は扁平でなんの陰影もない。
今日も鈴木忠勝氏の顔をじっと見る。長く考える。眺めつくしたら、さあ、本の頁をめくろう。今度は鈴木氏の心の成熟に会いに行かねば。