2020年は、1520年に山口大神宮が創建されてから500年目の節目の年に当たる。その式年大祭として、神事や奉納などの祭典行事が10月17日(土)に開かれる。
外宮と内宮で執り行われる神事は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、午前11時から関係者のみで執り行われる。
午後2時半からは奉納行事。まず、神楽殿で山口鷺流狂言保存会の米本太郎さんらによる狂言「鬼瓦」が上演。続いて神楽殿横の広場で山口民踊ほたる会の山村三枝さんらによる舞踊「伊勢音頭」、最後に古典芸能南京玉すだれ山口保存会の勝間幸次さんらによる「南京玉すだれ」が披露される。奉納行事は無料で自由に観覧できる。
ごあいさつ
山口大神宮 宮司 松田 良治
大内義興公の勧請により、山口に伊勢神宮の分霊を迎えられ今年でちょうど500年。山口の皆さまと共にお祝いできることに嬉しく思います。
この節目に向けて社殿や参道の修復、擬宝珠の化粧直しなど準備を進めて参りました。本来であれば、大勢の人にご参加いただける式年大祭を開きたかったのですが、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、規模を縮小して開催することといたしました。マスクを着用して密を避け、ぜひ参加・参拝ください。
山口大神宮の歴史
山口大神宮は、1520(永正17)年、大内義興が朝廷に奏聞して勅許を得て、伊勢皇太神宮のご分霊を勧請した神社。
義興は、明応の政変により周防に逃れた前将軍足利義稙を庇護し、ともに上洛。滞在中、伊勢の皇太神宮に参拝した際、その森厳な神霊にうたれたことがきっかけで、山口に勧請する気持ちを持ったと伝えられている。
当初は社号を「高嶺神明」と称えていたが、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜り、「高嶺太神宮」「今伊勢」と称せられるようになった。1557年に大内氏が滅び、毛利氏の統治するようになっても藩から高い格式を認められ、江戸時代には九州北部を中心に西日本各地から「お伊勢参り」に訪れる参拝客でにぎわった。1928(昭和3)年、社格が県社となり、「高嶺神社」と称されることとなったが、1948(昭和23)年「山口大神宮」と改称した。
また、伊勢神宮で20年に一度「式年遷宮」が行われるように、分霊をまつる山口大神宮でも遷宮が行われている。最初は創建から21年目に実施されたが、以降はさまざまな事情により延期や規模の変更、中止された年もあった。近年では2000(平成12)年に10回目の式年遷宮が行われた。