大内氏再興を目指し、豊後国から山口に攻めのぼった大内輝弘。1569(永禄12)年、ここ佐山で激戦が繰り広げられた。
1557(弘治3)年大内義長自刃後、毛利元就は勢いに乗って北九州に侵攻。阻止する豊後の大友義鎮(宗麟)と豊前立花城での攻防戦が長く続いていた。この戦局を打開しようと宗麟は1569(永禄12)年、客将の大内輝弘(大内義隆の従兄弟)に兵を授け、守備の薄い毛利軍の本拠地・山口を攻略しようと画策した。
秋穂浦と阿知須浦から上陸した輝弘勢は、佐山辻村付近で毛利軍との激戦に勝利。多くの戦死者が出たことから「千人塚」と呼ばれるようになったこの場所を、地元住民は貴重な郷土史跡として今に語り継いでいる。