江戸時代、ここには六軒の茶屋があり、一の坂御駕籠建場も設けられていたと伝わる。その内の伊藤家建物の南側の一室は周りよりも少し高くされて、藩政時代には藩主の休憩場所「御前の間」として使用された。当時はそこから眼下はるかに山口の街並みまでが見通せたという。
復元された立派な建物群は山口県文書館所蔵の図面に基づいて建てられたとのことだが、一の坂御駕籠建場の位置がここだったかどうかは微妙なところらしい。というのも、説明板には「一キロ弱戻った『一貫石』近くにも御駕籠建場があったと伝わる」とわざわざ断っているからで、もとより御駕籠建場は接近して設けられるはずもないからである。
文・イラスト=古谷眞之助