元禄元年創業の紙問屋「三文字屋」には、多くの志士たちが来訪・止宿した。その跡地は日本庭園になっている。
毛利氏の防長移封に伴い安芸国から山口に移り住んだ杉山家の甚右衛門は元禄元(1688)年、下竪小路に「三文字屋」を創業。主に和紙を扱う御用商をつとめ、藩の行政にも尽力した。幕末には、白石正一郎、玉木文之進、入江九一ら藩行政の重鎮や多くの志士たちが来訪・止宿。その中でも、池田屋事件で24歳の若さで没した吉田稔麿は、吉田松陰門下の三秀の一人として知られている。
三文字屋は昭和期に緑町に移転し、跡地には2002年に日本庭園が整備。2017年には「三文字屋跡」「吉田稔麿止宿之地」碑と解説板が建立された。