椹野川と仁保川が合流する付近に武人原という地名がある。
ここは、1866(慶応2)年1月25日、赤祢武人が、斬に処された場所である。
長州藩内で対立する改革派と保守派の和平工作を試みた武人は、保守派の内通者と疑われたため脱走。京都において薩長連合の道を模索する中、幕府の役人に捕らえられた。釈放後は第二次長州征討を阻止するため、長州藩と幕府との仲立ちを申し出るが、今度は幕府に通じていると見なされ、柱島で捕らえられ、山口へと護送された。
「真は誠に偽に似、偽は以て誠に似たり」
彼の獄衣の背には、この辞世が書き残されていた。
防長史談会山口支部長 松前 了嗣