NHK山口放送局(窪川昌平局長)は、1941(昭和16)年、ラジオ放送局として防府市に開局。以来80年間、山口県における情報の発信拠点として、電波を送り続けてきた。開局80年を迎える今年、さまざまな記念行事を予定している。
同局はまず、柳井市出身のイラストレーター・五月女ケイ子デザインのイメージキャラクター「ハチマキくん」を誕生させた。そして、県内でがんばっている人たちを「ハチマキTV~その一歩に、エールを。」と題し、番組や動画、ツイッターなどで応援していく。また、同局1階のハートプラザもリニューアル。キッズコーナーは、子供向け番組に登場するキャラクターたちと触れ合えたり、「3D塗り絵」が楽しめるように。さらに、中央公園を望む「食堂ゆるり」も、平日の午前10時から11時までと午後2時から5時半まで、オープンスペースとして一般開放する。
そして、4月17日(土)と18日(日)の両日は「大好き! やまぐちフェスタ」と題し、山口ゆかりのアナウンサーによるトークショーなど、各種催しを実施する。
防府市に開局
NHKが山口県に放送局を開局したのは今から80年前、太平洋戦争が勃発した1941年だ。県内各地域による誘致運動の末、防府市・桑山西峰の真下に設置が決定し、ラジオ放送局として開局した。開局の記念行事では、狂言や長唄、民謡といった郷土色豊かなプログラムに加え、時局をうかがわせる講演会も放送された。その後、1人2人と職員が出征、電波管制も強化されるなど戦局が悪化の一途をたどる中、職員は空襲におびえながらも放送電波を確保し続けたという。
テレビ時代の幕開け
テレビ放送が始まったのは1959(昭和34)年。防府市の大平山にテレビ中継所が完成し、当初の放送は5分間のローカルニュースと天気予報だった。取材は16ミリフィルムカメラ。防府放送局で現像し、編集したものを大平山山頂の中継所まで持ち込み送出、アナウンサーはスタジオでモニターを見ながらの放送だった。
山口市へ移転
放送局を山口市中央(現在の山口市役所別館の建物)に移転したのは1962(昭和37)年のこと。防府市民に長年親しまれてきた放送局の移転に、当時の地方紙は「『こちらは防府放送局であります』と防府市を天下に呼び掛け、宣伝に努めた。あの懐かしい声が聴けなくなるかと思うと、やるせないような寂しい気持ちになる」と防府市民の感情をくんだ記事を掲載した。
新放送会館建設デジタル時代
2005(平成17)年、NHK山口放送局は山口市中園町に新しい放送会館をオープンさせた。時代はアナログ放送からデジタル放送へ、また、放送と通信の融合が急速に進む中、同局は地域文化の担い手として、「身近で、信頼され、役に立つ」放送局を目指し、ニュース、番組を発信。窪川局長は「80年の長きに渡って放送を出し続けてこられたのも県民の皆さまの支えがあってこそ。これからも地域情報の発信拠点として、末永く愛される放送局を目指して行きたい」と話している。
17・18日 開局80年「大好き!やまぐちフェスタ」
4月17日と18日の午前10時から午後4時まで、同局で、80年記念イベント「大好き! やまぐちフェスタ」が開かれる。
[山口ゆかりのアナウンサートークショー]萩市佐々並出身で「小さな旅」(総合テレビ日曜午前8時~)でおなじみの山本哲也アナウンサーによるトークショーを、 4月17日に開催。司会は夕方の情報番組「情報維新! やまぐち」の北野剛寛キャスターが務め、山口県の思い出などを語る。
※観覧者の募集はすでに終了
[日本画家・馬場良治さんトークショー]日本画家で重要文化財復元の第一人者、宇部市出身の馬場良治さんによるトークショー。4月17日と18日両日、いずれも午前11時と午後2時からの2回(計4回)開催。合わせて、馬場さんが光市の虹ケ浜海岸を墨で描いた作品「虹ケ浜に想う」の制作過程の8K上映もされる。
他にも、スタジオ公開、キッズコーナー開放、 中継車公開、「人力発電ミニSL・メリーゴーラウンド」など、催し多数。