麻を着てすいと乳房の軽きこと(高知・田村乙女)
この句を『兆』という詩誌で知った。句は林嗣夫氏の「偶成」という詩の中に引用されている。
前述の句を見る直前、私はラジオ体操をしていた。パジャマのまま。下着は必要な一枚だけ。首や横曲げの運動では何事もないが、飛んだり、前屈する時には、すごく痛む。乳房の話である。日常には乳房にも下着をつけ固定しているので、それは動かず、動かなければ痛くない。痛いのは乳房の付け根である…(友人A子さんは、その痛みがわからないという。痛かったことがない、と言う)。
詩はこう続く。
そうか/女性は胸に隠した自らの/重さや柔らかさに耐えながら/生きていたのか//育児 家事 様々な負荷も/社会の在りようでどうにかなる/しかし どうにもならないいのちの形/その重力と慣性//それは彼女たちの/人生観 世界観のすみずみにまで/ひそやかに/しのび込んでいることだろう//やはり女性を抱きしめたい/もろの乳房の匂いやかな物理学を
重力と慣性、なんかそんな法則を習ったような。乳房の重みが、私の人生観、世界観にしのび込んでいるなんて。じゃ、乳房のない男性の人生観、世界観にしのび込むものは何? もうすぐ麻の季節が来る。